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2024年 4月 10日 正道ときどき蛇道
こんにちは。白石人生です。
暦は年の二割七分六厘を過ぎ、そして大学が始まり早三日目の朝を迎えました。
本日の天気は…空模様晴天、心模様曇天といったところしょうか。
高校の頃とは変わり、大学は新学期を迎えたからといって特段、ワクワクドキドキなどしないものです。(人に依ります)
それどころか鬱気分にすらなると聞きますから、大変な場所ですね。(人に依ります)
(とはいえ僕の場合はそもそも、高校の頃ですらワクワクドキドキなどしていた記憶はあまり無いですが。…いや、新学期ではないにしても毎日ドキドキはしていたような、しかし毎日感じるドキドキは生活になじみ過ぎて、最早ドキドキと捉えてはいなかったですね。そう、「ドキドキ」とは「ときどき」感じるからこそ、お「もしろい」。)
おっと…。
「王道とは、なぜに王道足り得るのか」
話は天気から離れて、といっても本題に入るわけでもないのですが、最近の疑問を少しだけ。
これは別に、「2とは、なぜ2なのでしょう」という意味では無いのですが、「王道とは、なぜ王道なのでしょう」
王道という言葉は様々な分野において、正しい道といったニュアンスで用いられますが、今はその言葉を多分創作物に対して使う場合の問いです。
例えば、某有名出版社の今にも未来への不安なんて飛び越えてしまいそうな名前が連載するバトル漫画。
正義感に強く、熱血的であり、周りから良く慕われる等身大の主人公。
挫折や敗北を味わいながら、成長していきながら、明確な目標に向かって進んでいくストーリー。
例えば、ともう一つくらい何かしらの例を挙げてやろうと思いましたが、どうせ皆さんの頭の中には他に一つや二つ浮かんでいると思われますから、面倒もくさいのでやめます。
人がつくったモノはこの世に、人の一生では数え切れないほどに存在していて、それだけの数があれば、鳥の巣理論では無いですが、まったく似たようなモノも存在しているでしょう。
そうなると、中には二番煎じ(場合によってn番煎じ)と揶揄されたり、パクリと一蹴されたりするようなのが世の常というか性ですが、これがある筋を通していればどうしてか「王道」と賛美されるのです。
(王道だから賛美されるのか、賛美されるから王道なのか、とかいう子供の頃描いた迷路みたいにゴールの見えない話はまたいつか)
とにかく、僕が感じた不思議は、なぜこれほどにも、何度も、見たこと聞いたことのあるモノなのに、それが「王道」であれば、飽きもせず、廃れもせずに人々の間で評価され続けるのでしょうというものです。
「夏休みまでに、何をするべきか」
僕の疑問なんてまぁどうでもよくて、やっとの本題です。
本日は夏休みまでにしなければならない事をお伝えできればなと思います。
と、その答えを出す前に、考えなければならないのが「皆様は夏休みに何をするのか」というところです。
目指す結末を意識しなければ、今何をしなければならないのかなんて、そもそも分かりっこないですからね。
といっても夏休みだけ考えても、同じく何もわからないので、一度未来を覗いて、そこから時間を遡ってみましょう。
(いつかどこかに、結末は選択に左右されないと抜かしていた阿呆がいると聞きましたが、それは反って興味深い。多分、物事の捉え方がまるで違うのでしょう。)
======未来へ案内中======
2025/04 : 某大学入学式
あなたは幸運にも第一志望の大学から合格をもらった。
未来のキャンパスライフに心を躍らせながら、着慣れない衣に身を包む。
2025/03 : 受験が終了
あれほどの茨道を歩き切ったあなたには、心の休養が必要だ。
長い時間蓋をしてきたあなたの趣味に「久しぶり」
2025/03~02 :大学入試二次試験
これまでの努力は実を結ぶ。
今までの不安が吹き飛ぶように、あなたのペンは紙を駆け出す。
2025/01~02 : 二次試験に向けての最終調整
第一の関門を抜けた先。
周りに漂う無気力の霧に惑わず、その足を一歩ずつ。
2025/01 : 大学入学共通テスト
受験が誇る(意外な)最難関。聞きなれないセリフが耳に届く。
「くくく…。我は受験軍の中でも最難…!」
2024/12 : 共通テストに向けての最終調整
東進の模試が難しいからか、中々目標に達しなかった。
その屈辱もここまで、最後の模試は出してやるぞ「ええ(良い)」判定。。。
2024/09~11 : 自身の得手不得手を志望校に合わせて調整
「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ」
どこかで聞いたような言葉が脳裏をかすめる。
2024/07~08 : 共通テスト、二次試験の過去問
毎回ご丁寧な誘導をしてくる負けイベ。
いつかコテンパンにできる日を楽しみにしながら。
2024/~06 :過去問を復習出来るレベルまで全科目完成
物語でいえばラスサビに向けた布石。
将来の心強い相棒になることを想像して、今は地道に。
2024/04 : あるブログを閲読中
起承転結の「起」
これを読んだあなたが、「王道」な物語を始められますように。
======現実へ案内中======
こんな具合ですね。
(あれ、考えずとももう答えが出てしまっているようなのは気のせいです)
皆様の未来として挙げたこれは、厳密に皆様の未来なはずはなく(それは、未来が見えたら苦労しませんから)、東進が掲げる「勝利の方程式」に乗っ取った予定表みたいなものです。(ですから、つまるところ、未来にはしていただきます)
そしてこれは先に述べた「王道」のようなものであり、幾度も繰り返されながら飽きも廃れもなく結果を出し続けてきた一種の「正道」です。
もちろん、皆様にはそれぞれの事情があるでしょうから、その中に「蛇道」とも呼ぶべき各々の計略を混ぜながら、受験を悔いなく過ごしていただけたらなと思います。
かの「WINDING ROAD」でも語られたように、曲がりくねった道の先には幾つもの小さな光があるものです。そしてその道はココだけの話、単純に「蛇道」というらしいです。
結論。
「過去問を復習できるレベルまで全科目完成」
要するに、夏休みに行うべき過去問に備えて、受験に使う全科目全範囲の基礎を今のうちに固めきってしまおうという事ですね。
これが王道といわれるのですから(僕が勝手に言っているだけなんて言わないでください)、それに従って悪いことはないでしょう。
そういえば、いつか僕の友人が言っていたのを思い出しました。
「王道」がどんなに他に同様(王道で同様ですって、くだらない)なものでも人々に広く受け入れられるのは、人間の生物としての本能的な部分が影響しているのではと。
そして、色々な神話を持ち出して(僕は神話に疎いもので、その内容は覚えていませんし理解できませんでしたが)、「これが王道の起源なんだ!」などと興奮していたのを覚えています。
神話とは、過去の人々が様々な自然現象に恐怖しないために、それら一つ一つに物語をつくっていたのが始まりとされています。
また、それらを広めなければつくった意味が無いですから、その物語は多くの民の琴線に触れそうな軸に沿っていたのでしょう。
それが本能に浸透した(またまた、本能に浸透ですって、くだんない)人達の子孫である僕たちが、そういった軸の物語がどんなに一様なものでも、自然と受け入れてしまうのは不思議ではないような気がします。
そしてその軸を今の僕たちは「王道」と感動するのではないでしょうか。…。
明日の人、荒先生
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